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さかずき考 新庄の3月の降雪量は例年の2倍もあったそうです。でも、昔から「遅く降った雪は早く解ける」と言われているように、4月に入り驚くような早さで雪が解けています。3月末にはまだ40〜50センチもあった田んぼの雪もほとんど消えてしまいました。まったく凄まじい自然のエネルギーです。 冬の永い眠りから目覚め、多くの生き物が春の芽吹きを謳歌するこの季節、なぜか憂鬱な気分になるのは目覚めることのできなかった者たちの想いのせいなのでしょうか。・・・なぁ〜んちゃって。おそらく単なる花粉症のせいです。 さてと、あふれ出る涙と鼻水とくしゃみと戦いながら、本題に入りましょう。私は、酒器の美術的側面はまったく分かりませんし、また興味もありませんが、酒器の違いによる酒の味は分かるつもりです。そこで今回の富田通信はさかずきについて、その歴史的流れを坂倉又吉氏の「酒おもしろ語典」より、そしてその後に酒器の違いによる味の違いを書いてみたいと思います。 さかずき(杯・盃) 「酒おもしろ語典」より さかずき(杯・盃)とはもとより酒を飲む容器のことで、酒の「つき」(坏)の意味であります。またこれを盞とも書きます。 日本では古くは「かわらけ」(土器)を用いていましたが、その頃の文献を調べてみますと、『古事記』上つ巻四、大国主の命の八千矛(やちほこ)の神の歌物語のところに「大御酒坏(おおみさかづき)を取らして、歌よみしたまひ・・・」とあります。また『万葉集』五の八四〇に「梅の花誰が浮べしさかずき(佐加豆岐)の上に・・・」また七の一二九五に「遊士(みやびを)の飲むさかずきに影に見えつつ」とあります。 この素焼きのかわらけは今もなお、神供や儀式に使っています。 『倭名抄』には「瓦器(かわらげ)」の部に盃、盞をあげているところからしても、平安朝時代まではかわらけが一般的の杯であったようです。 その後、木材が一般化してきたのは中世以降のことで、やがて「さかずき」の名はもっぱら朱塗りの木杯に移るようになりました。しかも当時の木杯は、今のと違って大型であったのは、酒の飲み方が冷酒を飲みまわす集団的な方法であったからです。そして正式の儀式に使うのは、大体大中小三つ重ねの漆塗りの朱杯に決まっていました。それが近世の都市生活において遊里などの新しい酒宴方式が生まれると共に、「銘々盃」といって個人用の小型の木杯が使われるようになりました。しかし、なお大杯による飲みまわしも残り、また小杯も献酬(盃のやりとり)の形をとっていました。 そのほか豪華な金杯、銀杯等も出来て来ましたが、これは朱杯と同じように使われ、また褒賞のときなどにその杯を下賜されたりしました。 小形の陶磁器製の杯は、それから後に出来たものですがその発生年代は明らかではありません。それが今も一般的に使われているもので猪口(ちょこ、またはちょく)です。猪口は燗酒の風習と共に出来てきたものと思われます。そして燗酒を入れる方の容器が燗徳利です。かくして陶製の小杯、即ち猪口が普及一般化するに従って、今日のように「さかずき」とは猪口が代表するようになりました。 ![]() さかずき考 さて、前にも書きましたように、私は備前とか萩とか伊万里とか、とにかく焼き物の美術的側面に関してはまったくといっていいほど無知ですので、猪口の形とそれによる酒の味わいについて書いてみたいと思います。 前もってお断わりしておきますが、これから書くことはすべて私の独断と偏見ですのでご了承下さい。 近年、猪口としてもっとも人気があるのが「ぐいのみ」ではないかと思います。 陶芸作家展なんかをのぞいてみても必ずといっていいほど「ぐいのみ」が展示されてますもんね。でも、私はあの「ぐいのみ」ってのが、大嫌いなんです。理由はただ一つ。あれで飲む酒はどうも美味しくないんですよ。あれで飲むくらいならコップで飲んだ方がはるかに美味しいと思っています。どうしてかって考えたんですが、それはたぶん、ぐいのみの厚みにあるんじゃないかと思います。口に当たる部分が厚いとどんな酒でもまずく感じるんですよ。 で、私がお勧めの杯はどんなものかといいますと、写真にあるようなちょっと大ぶりで深皿形の磁器の杯です。ほら、よく年祝いなんかでもらう、なんの変哲もない大量生産の杯ですよ。7.5センチほどの直径は酒の香りを十分に立たせ、その大きさは十分に酒を口に含むことができる。さらには口に当たるところの薄さと形状が酒の味をほんとに引き立てるんですよ。 いや〜、昔から大衆に支持されてきたものには、本当にいいものがありますね。 ・・・乾杯! |
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