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“万八”酒合戦 10月7日、新庄の最低気温は4.4度、朝晩はストーブ無しではいられない季節になりました。冷夏の影響で、例年だったらもうほとんど終わっている稲の刈り取り作業もこれからが本番といったところです。一週間から10日の遅れでしょうか。裏庭の柿の実も小粒ながら色づき始めました。駆け足で秋が深まっていきます。 さて、今回の富田通信は、「うそっぱち」の語源となった“万八”酒合戦について、『酒おもしろ語典』より書いてみましょう。 “万八”酒合戦 うそ偽りのことを“うそっ八”または“万八”といいます。万八とは万の中に本当のことが僅か八つしか入っていないということですが、この“万八”の語源が、酒合戦より出たというのは面白い話です。 それは、文化14年(1817)3月23日に、江戸両国柳橋の万屋八郎兵衛、略して「万八」方で行われたという酒合戦について、『禹園小説』に載っていますが、その記録がいずれも想像だに及ばぬ超人的なものばかりだったからです。 もっともこれは単なる酒合戦ではなく、大酒大食会で、酒組、菓子組、蕎麦組、鰻組に分かれて行われたのですが、その内、酒組では・・・ 芝口の鯉屋利兵衛(30歳)が最高で、三升入り盃に6杯半の一斗九升五合を飲み、その座に倒れて睡眠ののち、眼を覚まして茶碗で水17杯を飲む。 小田原の堺屋忠蔵(68歳)は、三升入り3杯で九升。 小石川の天堀屋七右衛門(73歳)は、五升入り丼鉢で1杯半の七升五合あけ、「お先に失礼」と帰って行ったが、途中、湯島聖堂の土手で倒れて翌朝七ツ刻まで醒めなかった。 本所石原町の美濃屋儀衛門(51歳)は、五合入りで11杯の五升五合を飲み、終わって五大刀を歌い、お茶を14杯飲んだ。 下谷金杉の伊勢屋伝兵衛(47歳)は三合入りで27杯の八升一合飲み、後で飯3杯、茶を9杯飲んで、甚句を踊って去った。 山の手の某藩士(63歳)は、一升盃で4杯、後で東西の謡をうたい、一礼して直きに帰っていった。 この他、二〜三升の者は30〜40人いたという。 その記録以上のごとしですが、あまりに話が大きすぎますので 「八郎兵衛方の酒合戦の記録なぞ信じられん。嘘だ、嘘に決まっている」 という人が多く、万屋八郎兵衛、略して「万八」はほら話の代名詞にさせられてしまい、それが転じて「うそっ八」ともいわれるようになったとのことです。 一説には、この話は一桁違えてあるのだろうともいいます。すると、最高記録が一升九合五勺となって、そんなものかなとも思われますが、大部分が二、三合となりそれでは酒合戦としては少なすぎるようです。そこで私はこの大記録を信ずることにして、このような愉快な催しが出来た当時の人々と、その時代に敬意を表することにします。 |
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○10月4日、新庄の老舗の料亭「つたや本店」で舞妓さんたちと飲んできました。といっても豪勢な遊びをしてきた訳じゃありません。まる貧の私にはとてもとても・・・。じつは今、国民文化祭なるものが山形県で開かれているのですが、その一環として伝統文化であるお座敷文化を堪能してきたわけです。舞妓さんは山形の伝統芸能を廃らせてはならないと平成8年に結成された「山形伝統芸能振興株式会社」所属の「やまがた舞子」さん。踊りを見ながら豪華なお膳に吟醸酒。国民文化祭、毎年山形で開催されないかなぁ・・・。 |
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