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酉年にちなんで、日本の酒の歴史 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 この冬は初雪が12月16日の夜と例年より一ヶ月以上も遅く楽な冬になるだろうと高をくくっていたのですが、なんと初雪が根雪になってしまいました。1月8日現在の積雪は40cmほどで、日中の予想最高気温は−1℃。・・・まあ、この新庄で楽な冬を望むのは無理な話なんでしょうかねぇ。 さてと、今年最初の富田通信は酒を表す「酉」に敬意を表して、日本の酒の歴史を『日本の酒5000年』加藤百一著を参考にしながら、ごく簡単に書いてみたいと思います。 日本の酒の歴史 日本で最初にアルコールを含んだ飲み物が生まれたのはいつのことなのでしょう。はっきりしたことはおそらく誰にも分からないでしょうから、検証可能な考古学的資料から見てみましょう。 ○縄文中後期の酒 縄文中後期には、ヤマブドウを原料にした酒や、クルミ・トチ・ドングリなどの木の実を原料にした酒、植物の含デンプン質根茎を口でかんで唾液を利用したいわゆる「口かみ酒」、麦類・稗・粟・豆類・米(陸稲)などの雑穀を原料にした酒などが生まれていました。 縄文晩期にはすでに米(陸稲)を原料にした酒が生まれていたんですねぇ。日本酒の原点は、じつに縄文晩期にまでさかのぼるのです。 ○弥生時代の酒 おそらく江南の地(中国の揚子江以南の地)から、水稲と共に稲作農耕文化が日本に入りました。弥生時代の幕開けです。 弥生時代にはこの水稲を原料にした酒が造られました。その特徴は、米のデンプンを糖化するのに米麹を利用していたことです。 カビの力を借りて穀物デンプンを糖化する酒造り方式は、北は中国東北部、華北、日本から、南は東南アジア、インドネシアにおよぶ広い地域に見られますが、カビの種類とか、麹原料、原料の処理法、麹の形態などは、同じ麹文化圏にありながら地域によっていろいろな特色が見られます。たとえば、小麦粉を固めた中国のモチ麹、ヒマラヤ辺境の米、雑穀のバラ麹、それに東南アジアのラギーなどは、いずれも強力な糖化力とアルコール発酵能をもったクモノスカビやケカビを利用しています。これに対して日本では、糖化力は強くてもアルコール発酵能をもたない麹菌を蒸し米に繁殖させたバラ麹を利用しています。これらの違いは風土の環境や食習慣の違いによるものと考えられます。 この水稲と米麹を利用した酒造りは稲作農耕文化が日本全土に拡大すると共に広まり、日本酒の源流となりました。 ○現在の日本酒の原型 室町時代に現在の日本酒の原型が形作られました。多聞院日記(奈良興福寺多聞院)に書かれていて、南都諸白(なんともろはく)と呼ばれています。その特徴は 1.掛け米、麹米とも精白米を使用 諸白とは、麹米、掛け米とも精白したという意味です。 2.とう方式による仕込 それまでは、酒を仕込み、それを搾って、さらにその搾った酒を仕込み水代わりにして酒を仕込むという方法で酒を造っていました。これを「しおり方式」といいます。 とう方式とは、いまの酒造りと同様に、蒸し米や麹米、水をだんだんに量を増やしながら順次加えていく方法です。現在の酒造りは初添え、仲添え、留添えのいわゆる三段仕込みですが、これも南都諸白で行われていました。 3.火入れ、殺菌 多聞院日記の中で、1568年6月夏「酒ヲニサセ」と出てきます。これが文献に出てくる最初の火入れ殺菌です。低温殺菌(火入れ)は、フランスのルイ・パスツールが1860年頃(江戸時代末)、ワインの変敗を防ぐ方法として考案したということで、パスツーリゼーションとして世界に知られていますが、日本ではそれより300年も前に低温殺菌が行なわれていました。 4.大型木桶の出現 それまでは酒の仕込みには甕(かめ)が使われていましたが、製材用の大型のこぎり、表面や側面を仕上げる台かんな、が中国か朝鮮から渡来し、これにより、大型木桶が作れるようになり酒の仕込量が大きくなりました。 ○灘の寒づくり 寒造りの技術は灘によって発展し、今日の酒造りの基礎が出来上がりました。 1.宮水の発見 1840年、桜正宗の6代目山邑太左衛門によって発見されました。宮水は、麹菌や酵母の繁殖を助ける成分や酵母の養分となる成分が多く含まれている水です。これによって灘酒は酒母やもろみの醗酵力の強い、つまり腐りにくく、味のしっかりした酒になりました。 2.水車精米 当時、精米は足踏みによっておこなわれていましたが、灘では、六甲山系の急流を利用した水車精米が発明されました。これにより、大量の、しかも高精白米が得られました。 3.寒造りへの集中化 細菌的汚染の少ない寒の季節に集中的に酒を造り、酒造期間の短縮化と集約化を計れば、品質的に向上するばかりか経済的に節減できます。また、こうして造った寒酒の優秀性をかざして大消費地江戸に持っていけば、市場を独占することができます。 ○吟醸酒の誕生 吟醸酒は明治40年から1年おきに開催された全国清酒品評会という品質競争の場から生まれました。 当時、灘の酒は大きなブランド力を持っていました。ブランド力を持たない他の地方の酒蔵は品評会で優秀な成績を取れば新聞が大きく取り上げてくれ、全国に名を馳せる絶好の機会でした。 そこで彼らは、賞を取るために、市販酒とは違う品評会用の優れた酒を造ることにしのぎを削るようになりました。こうした中にあって科学技術も格段に進歩していました。 大正末期に切削式の竪型精米機が考案され、精米歩合が飛躍的に小さくなりました。また酒の仕込みに使う木桶もホーローのタンクにかわっていきました。やっとあのりんごのような芳香をもった吟醸酒ができる下地ができたのです。そしてついに昭和の初期に吟醸酒が誕生しました。 今でこそ、心躍る美味しい吟醸酒を気軽に味わえるようになったんですが、ここにたどり着くまでは、じつに縄文晩期以来の長い歴史があったんですねぇ。 最後に吟醸酒の先駆者・花岡正庸氏の言葉で結びたいと思います。 『吟醸酒とは何ぞや、という問題であるが、一口にいえば、芳香醇味である酒のことである。別の言葉でいえば、吟醸香が強く高くあり、吟醸味が豊かに含まれている。これを飲めば爽やかで旨く、飲めば飲むほど飲心をそそられ、いやが上にも飲みたくなって、ほがらかに酔うものをいうのである。原料の粋をつくし技術の最高をもってして、はじめてできる最高級の醇良酒である』 |
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